武田五一に関係する温泉には、もう一カ所、鳥取県の三朝温泉があります。

三朝は「みささ」と読みます。鳥取県の中央部、倉吉の南に位置する温泉地で、世界屈指のラジウム泉として有名です。かつては「放射能泉」と宣伝しておりましたが、放射能では忌諱する方もあるようで、現在では「ラジウム泉」となっております。

さて、この三朝温泉の武田物件は、昭和9年の三朝橋(三朝大橋)と、その橋の突き当たりにある温泉旅館万翠楼です。三朝橋は、平成9年に登録有形文化財として登録されましたが、万翠楼は新築され、残念ながら現存しておりません。

三朝橋は温泉街の中央にあり、RC造ながら、青御影石の欄干や擬宝珠、石燈籠など、本格的な和風の橋のデザインとなっています。大変交通量の多い橋で、欄干が壊れたりする事故が頻繁にありますが、その都度、ちゃんと修復されております。橋のたもとには無料の露天風呂があり、橋から丸見えですので、交通事故多発の一因かも知れません。

万翠楼は、木造3階建で、望楼あり、大きな唐破風の車寄せや千鳥破風あり、各階に朱の手摺りを巡らせと、大変にぎやかな目立つ建物だったようです。武田五一研究者の小林淳男さんがおっしゃるには、同じく武田五一の設計である大阪城に、部分的に雰囲気が似ているとのことでした。三朝橋の突き当たりにあり、両方を一体としてデザインしたものと思われます。

ここで、「武田五一の見分けかた」をご紹介しましょう。

と言っても、これは小生が考案したのではなく、在野の武田五一研究者である小林淳男さんからお聞きしたものです(と、逃げを打っておく)。ちなみに、さきたかさんは、「たぬきさまが言ったとか。」とお書きになっておられます。はて、どちらの考案になるものか?

「武田五一の見分けかた」は、次の3つです。
1) 3連アーチ
2) 左右非対称
3) 平面的デザイン

この「武田五一の見分けかた」は、例外も沢山ありますし、他の設計者の物件の場合も多々あります。しかし、「五一っぽい」とか、「五一風だ」とか、「五一グループの作品ではないか」などと、小生などがまちを歩きながら話しているのは、この「武田五一の見分けかた」に拠ります。

本当は、ちゃんと文献を読んで、しっかりと研究しなければならないのですが(笑)。

「武田五一と温泉」というテーマを与えられて、いろいろ調べています。

この写真は、石川県山中温泉の総湯(共同浴場)「菊の湯」です。武田五一設計、RC造で、昭和5年の建物でしたが、残念ながら老朽化で解体されました。平成4年に、旧の建物を復元して新築されました。この写真は、昨年夏に撮影してきたものです。

外観は、共同浴場とは思えない、まるで寺院のような建物で、軒先には風鐸まで付けられています。内部は、外観とはうって変わって、柱や天井にRCの構造がそのままむき出しでした。長細い建物の両側に出入口があり、内部は3室で、中央に浴室1室、各出入口に脱衣室がそれぞれ1室という構成でした。左右の脱衣室のいずれからも、同じ浴室に入る形です。おそらく、建築当時は混浴だったものと思われます。その後、男湯専用となっており、女湯はとなりにあった福祉センターの浴場を利用しておりました。

平成14年に、広場を挟んだ向かいに、この「菊の湯」とそっくりな女湯専用の共同浴場の付属した施設「山中座」が新築されました。

「高知遺産 いきなり、東京展」の開催です。

この春、高知で発売早々に話題となり、たちまち増刷となった『高知遺産』。この本の元ともなった「高知遺産展」が、東京にやってきます。会期は、7月13日から8月14日まで。会場は西池袋のポポタムさん。

写真は、昨年、小生が撮影した旧高知県立第一中学校(現、県立追手前高校)の建物。武田五一の設計です。小生は「高知遺産展」には出品しておりません、念のため(笑)。

この秋、文京ふるさと歴史館で「建築家・武田五一展(仮称)」が開催されます。

この企画展は、東京都文京区の文京ふるさと歴史館と、愛知県名古屋市の名古屋市立美術館の共催によるもので、これまで未公開だったものなども沢山展示される予定です。

・文京ふるさと歴史館「建築家・武田五一展(仮称)」
  2005年10月22日~12月 4日
・名古屋市立美術館「名古屋近代建築運動史の群像I 武田五一-建築意匠と装飾-」
  2006年 1月28日~ 3月26日

小生も、市民協力者に入れてもらってお手伝いをしており、図録に載せる小文などを書いております。以後、文章を書くにあたって見つけた面白い情報などを、お知らせします。ご期待ください。