ここで、「武田五一の見分けかた」をご紹介しましょう。

と言っても、これは小生が考案したのではなく、在野の武田五一研究者である小林淳男さんからお聞きしたものです(と、逃げを打っておく)。ちなみに、さきたかさんは、「たぬきさまが言ったとか。」とお書きになっておられます。はて、どちらの考案になるものか?

「武田五一の見分けかた」は、次の3つです。
1) 3連アーチ
2) 左右非対称
3) 平面的デザイン

この「武田五一の見分けかた」は、例外も沢山ありますし、他の設計者の物件の場合も多々あります。しかし、「五一っぽい」とか、「五一風だ」とか、「五一グループの作品ではないか」などと、小生などがまちを歩きながら話しているのは、この「武田五一の見分けかた」に拠ります。

本当は、ちゃんと文献を読んで、しっかりと研究しなければならないのですが(笑)。

「武田五一と温泉」というテーマを与えられて、いろいろ調べています。

この写真は、石川県山中温泉の総湯(共同浴場)「菊の湯」です。武田五一設計、RC造で、昭和5年の建物でしたが、残念ながら老朽化で解体されました。平成4年に、旧の建物を復元して新築されました。この写真は、昨年夏に撮影してきたものです。

外観は、共同浴場とは思えない、まるで寺院のような建物で、軒先には風鐸まで付けられています。内部は、外観とはうって変わって、柱や天井にRCの構造がそのままむき出しでした。長細い建物の両側に出入口があり、内部は3室で、中央に浴室1室、各出入口に脱衣室がそれぞれ1室という構成でした。左右の脱衣室のいずれからも、同じ浴室に入る形です。おそらく、建築当時は混浴だったものと思われます。その後、男湯専用となっており、女湯はとなりにあった福祉センターの浴場を利用しておりました。

平成14年に、広場を挟んだ向かいに、この「菊の湯」とそっくりな女湯専用の共同浴場の付属した施設「山中座」が新築されました。

「高知遺産 いきなり、東京展」の開催です。

この春、高知で発売早々に話題となり、たちまち増刷となった『高知遺産』。この本の元ともなった「高知遺産展」が、東京にやってきます。会期は、7月13日から8月14日まで。会場は西池袋のポポタムさん。

写真は、昨年、小生が撮影した旧高知県立第一中学校(現、県立追手前高校)の建物。武田五一の設計です。小生は「高知遺産展」には出品しておりません、念のため(笑)。

この秋、文京ふるさと歴史館で「建築家・武田五一展(仮称)」が開催されます。

この企画展は、東京都文京区の文京ふるさと歴史館と、愛知県名古屋市の名古屋市立美術館の共催によるもので、これまで未公開だったものなども沢山展示される予定です。

・文京ふるさと歴史館「建築家・武田五一展(仮称)」
  2005年10月22日~12月 4日
・名古屋市立美術館「名古屋近代建築運動史の群像I 武田五一-建築意匠と装飾-」
  2006年 1月28日~ 3月26日

小生も、市民協力者に入れてもらってお手伝いをしており、図録に載せる小文などを書いております。以後、文章を書くにあたって見つけた面白い情報などを、お知らせします。ご期待ください。

話の順番が逆になってしまいました。武田五一が関わった温泉は、現在のところ3つが確認されています。これは、武田五一マニアの小林淳男さんの労作によります。

・石川県山代町「山代温泉共浴場」昭和4年
・石川県山中町「山中町営共同浴場(総湯「菊の湯」)」昭和5年
・和歌山県白浜町「崎の湯」昭和9年

これらは、残念ながら、いずれも現存しておりません。

山代温泉と山中温泉は、同じ加賀温泉郷にある隣町です。当時、山代温泉、山中温泉、そして和歌山県の白浜温泉共、鉄道が発達し、大阪から半日程度で行けるようになって賑わいはじめた温泉地でした。南と北ですが、大阪からの距離では同じような位置にある温泉地です。

和歌山県白浜温泉の「浜の湯」の建物も、武田五一の建物の特徴があり、あるいは武田五一物件かも知れません。また、同じ昭和初期の共同浴場としては、島根県江津市の有福温泉「御前湯」が現存しています。写真は、昨年小生が撮影してきた「御前湯」です。武田五一とは関係のない建物ですが、同時代の共同浴場として、白浜温泉「浜の湯」と似た点が見受けられます。

「梅鉢」と「梅皿」について書きます。

一昨日、「梅鉢型幼稚園」のことを書きました。「真上から見ると梅鉢のような形をしている」とも書きました。では、「梅鉢って何?」ということなのですが、小生、すっかり勘違いをしていたようです。小生がイメージしていたのは、「梅鉢」ではなく、日本画などで使う「梅皿」でした。

「梅鉢」とは、イコール「梅鉢紋」のことを指すようですね。「梅鉢紋」とは、天神様(菅原道真)の家紋で、加賀の前田家の家紋も「梅鉢紋」として有名です。丸5つを花弁に見立て、中央に小さな丸を置いた、梅の花を図案化したものです。

もう一つ、「梅鉢」というと、焼き物を指す場合があるようです。落語「猫の皿」にも出てくる「高麗の梅鉢」というのがそれで、要は、梅鉢紋の絵柄の付いた高麗製(実際には中国製)の抹茶茶碗で、名品として、高価なことで有名であったようです。

落語「猫の皿」の「高麗の梅鉢」を思い出したのは、先週のTVドラマ「タイガー&ドラゴン」に出てきたからなのでした。

ということで、「梅鉢型幼稚園」の「梅鉢型」とは、家紋の「梅鉢紋」の形をしたという意味でした。「梅鉢紋」よりも「梅皿」のほうが、似ているとは思うのですが。「梅皿型幼稚園」では、ちょっと格が落ちるような気もします。「梅鉢」だと、天神様ですし、高級なイメージですし。

「梅鉢型幼稚園」という、特殊な形をした建物もありました。

昨日書いた「円形校舎」が昭和30年代の学校建築でしたが、もう一つ、「梅鉢型幼稚園」という幼稚園特有の特殊な形をした建物がありました。今も現役の幼稚園もありますから、過去形ではなく「あります」ですね。

「梅鉢型幼稚園」は、明治時代後期から大正時代にかけてのモダンな教育理論を基に、中央に五角形や六角形、八角形といった形の遊戯室を置き、その周囲に保育室などの部屋を設けた幼稚園です。真上から見ると、梅鉢のような形をしていることから、「梅鉢型幼稚園」と呼ばれています。

現存しているのは、帯広、東京、鎌倉、大阪、岡山、倉敷など。帯広の双葉幼稚園を見に行ったことがありますが、赤い王冠のような洋風の、楽しい建物です。

「梅鉢型幼稚園」も、新築の話は聞きません。やはり、一時代の流行だったのでしょうか。

「円形校舎」という建物がございます。

といきなり書いても、わからない方にはちっとも見当がつかないかも知れませんが、昭和30年代に日本各地で、全部で100棟くらい建てられた学校の校舎です。「円形校舎」というくらいで、真上から見るとドーナツ型をした建物で、各教室はバームクーヘン(正式には独語でバームクッヘンか)を切り分けたような形状になっております。

昭和30年代に各地で建てられたのですが、その後すっかり廃れてしまって、とんと新築されたという話は聞きません。しかし、この円形校舎で学んだ方や、地元に円形校舎があったという方にとっては、とても印象深い建物だったようでして。

それが、ここ最近、老朽化・耐震化で、建替えという話が進んでおります。それに加えて、少子化による廃校も。現役で使われている「円形校舎」は、もう30棟を切るのではないでしょうか。

「円形校舎」について、以前、ちょいとまとめてみたことがあります。
「円形校舎」

一時流行った建物が、消えて行くというのも、寂しいものです。

先日、知人と話をしておりましたら、「母校が円形校舎だった」という、何とも奇遇な出会いもございました。

群馬県伊勢崎市の旧伊勢崎市立女子高校のように、市で転用して保存することになった事例などは、本当に珍しいことです。

「うちの近所にも、円形校舎があったよ」という方、「円形校舎で学んだよ」という方、ぜひどんな風だったのかを、お知らせください。

「サツキとメイの家」は、昭和30年代の家でしょうか?

「冷凍マンモス」と共に愛知万博の目玉となっている「サツキとメイの家」ですが、公式ホームページや新聞報道などでは、昭和30年代の家として紹介されています。まさか、あのような家が昭和30年代の典型的な家だと勘違いするような人はいないかとは思いますが、昭和30年代に建てられた家をモデルにしていると間違う人はいるのではないでしょうか。

映画の舞台は昭和30年代の設定で、そのときにすでに、あの「サツキとメイの家」は古びておりました。

建築マニアの間では、あのような形の住宅は「洋館付き住宅」といい、大正から昭和初期にかけて流行した建物です。

そもそもは、明治初期、外国のお客様を迎えるような貴族の家では、家の敷地に迎賓館として洋館を建て、住まいは和館で、その間を渡り廊下でつなぐといった建て方がありました。その後、地方のお金持ちや小金持ちの間でも、玄関横に洋間を作り、応接間や書斎とする建て方が流行ります。個人医院などでも、診察室が入口横の洋間、という例が多く見られます。一般の住宅でも、文化住宅といった呼び方で、洋館付き住宅が建てられます。「サツキとメイの家」も、そうした文化住宅かと思われます。

洋館付き住宅は、今でも各地に多く見られます。

そういった家の入口横には、必ずと言ってよいほど、シュロの木が植えてあります。今では大木となっています。シュロの木を目印に、建物を探すことさえできます。空き地にシュロだけが生えているようなところは、かつて洋館が建っていた場所であろうと想像できます。

「サツキとメイの家」は、洋館がちょっと大きすぎてバランスが悪いのですが、洋館単体では、ステキな建物だと思います。

あなたのご近所にも、きっと「洋館付き住宅」がありますよ。探してみてください。そして、ご報告いただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。

「竹筋コンクリート」って、ご存じですか?

近代建築マニアの間では、岩国の「徴古館」という博物館が、昭和20年築の竹筋コンクリート造の建物として有名なのですが、これ以外の現存建築があるかどうかについて、興味を持っています。

実は先月、岩手県の一戸という町で、竹筋コンクリート造の旧銀行の建物に出会いました。確かなことはわかりませんが、竹筋コンクリート造であると伝えられているそうです。

土木系では、橋などで、竹筋コンクリート造のものがいくつか残っています。登録文化財になっている熊本県小国町の旧国鉄宮原線のアーチ橋などがそうです。他にも、九州各地や北海道などで、竹筋コンクリート造と伝えられている橋梁があります。

竹筋コンクリートは、戦前から戦中にかけて、金属不足のために、鉄筋の代わりに竹を代用したもので、そこそこ強度はあるようなのですが、造られてから長い年月が経って、果たして強度が落ちていないのか?

ご近所に、竹筋コンクリートの建物があるという方、ぜひお知らせください。とても貴重な建物です。