
昨日ご報告した「まちかどの近代建築写真展in文京区」に向けて撮影してきた写真を、何枚かアップします。
医院でしょうかこの建物は、いかにも洋館といった建物で、気に入っております。
日本各地の近代建築探訪など

昨日ご報告した「まちかどの近代建築写真展in文京区」に向けて撮影してきた写真を、何枚かアップします。
医院でしょうかこの建物は、いかにも洋館といった建物で、気に入っております。
「まちかどの近代建築写真展」が東京で開催されます。
昨夏札幌駅コンコースで、秋には山形県長井市の旧郡役所で開催した「まちかどの近代建築写真展」ですが、今年11月、東京都文京区のシビックセンターで開催することが決定しました。
「まちかどの近代建築写真展」とは、小生も参加している「近代建築探訪メーリングリスト」の有志が中心となって、日本全国の近代建築の写真を持ち寄り、皆さんに見ていただいている写真展です。とくに、文化財などの有名な建物ではなく、まちかどにある、身近な建物を紹介したいと考えております。
現在、文京区開催にあたり、文京区の近代建築の写真も展示しようと、時間を見つけては撮影を行なっております。
詳細が決まりましたら、お知らせいたします。皆さまには、ぜひ、お出でいただきたく、ご案内申し上げます。
「梅鉢」と「梅皿」について書きます。
一昨日、「梅鉢型幼稚園」のことを書きました。「真上から見ると梅鉢のような形をしている」とも書きました。では、「梅鉢って何?」ということなのですが、小生、すっかり勘違いをしていたようです。小生がイメージしていたのは、「梅鉢」ではなく、日本画などで使う「梅皿」でした。
「梅鉢」とは、イコール「梅鉢紋」のことを指すようですね。「梅鉢紋」とは、天神様(菅原道真)の家紋で、加賀の前田家の家紋も「梅鉢紋」として有名です。丸5つを花弁に見立て、中央に小さな丸を置いた、梅の花を図案化したものです。
もう一つ、「梅鉢」というと、焼き物を指す場合があるようです。落語「猫の皿」にも出てくる「高麗の梅鉢」というのがそれで、要は、梅鉢紋の絵柄の付いた高麗製(実際には中国製)の抹茶茶碗で、名品として、高価なことで有名であったようです。
落語「猫の皿」の「高麗の梅鉢」を思い出したのは、先週のTVドラマ「タイガー&ドラゴン」に出てきたからなのでした。
ということで、「梅鉢型幼稚園」の「梅鉢型」とは、家紋の「梅鉢紋」の形をしたという意味でした。「梅鉢紋」よりも「梅皿」のほうが、似ているとは思うのですが。「梅皿型幼稚園」では、ちょっと格が落ちるような気もします。「梅鉢」だと、天神様ですし、高級なイメージですし。
「梅鉢型幼稚園」という、特殊な形をした建物もありました。
昨日書いた「円形校舎」が昭和30年代の学校建築でしたが、もう一つ、「梅鉢型幼稚園」という幼稚園特有の特殊な形をした建物がありました。今も現役の幼稚園もありますから、過去形ではなく「あります」ですね。
「梅鉢型幼稚園」は、明治時代後期から大正時代にかけてのモダンな教育理論を基に、中央に五角形や六角形、八角形といった形の遊戯室を置き、その周囲に保育室などの部屋を設けた幼稚園です。真上から見ると、梅鉢のような形をしていることから、「梅鉢型幼稚園」と呼ばれています。
現存しているのは、帯広、東京、鎌倉、大阪、岡山、倉敷など。帯広の双葉幼稚園を見に行ったことがありますが、赤い王冠のような洋風の、楽しい建物です。
「梅鉢型幼稚園」も、新築の話は聞きません。やはり、一時代の流行だったのでしょうか。
「円形校舎」という建物がございます。
といきなり書いても、わからない方にはちっとも見当がつかないかも知れませんが、昭和30年代に日本各地で、全部で100棟くらい建てられた学校の校舎です。「円形校舎」というくらいで、真上から見るとドーナツ型をした建物で、各教室はバームクーヘン(正式には独語でバームクッヘンか)を切り分けたような形状になっております。
昭和30年代に各地で建てられたのですが、その後すっかり廃れてしまって、とんと新築されたという話は聞きません。しかし、この円形校舎で学んだ方や、地元に円形校舎があったという方にとっては、とても印象深い建物だったようでして。
それが、ここ最近、老朽化・耐震化で、建替えという話が進んでおります。それに加えて、少子化による廃校も。現役で使われている「円形校舎」は、もう30棟を切るのではないでしょうか。
「円形校舎」について、以前、ちょいとまとめてみたことがあります。
「円形校舎」
一時流行った建物が、消えて行くというのも、寂しいものです。
先日、知人と話をしておりましたら、「母校が円形校舎だった」という、何とも奇遇な出会いもございました。
群馬県伊勢崎市の旧伊勢崎市立女子高校のように、市で転用して保存することになった事例などは、本当に珍しいことです。
「うちの近所にも、円形校舎があったよ」という方、「円形校舎で学んだよ」という方、ぜひどんな風だったのかを、お知らせください。
今月、彰国社という建築系の出版社より、『日本のモダニズム建築』が発行されました。
欲しいと思い、値段を見ると、価格178,500円。桁を間違えているのではないかと、あちこち調べてみましたが、間違いなく17万8,500円。今年の8月末までは、特価で160,000円とのことですが、それにしても高すぎやしないか? DVD4枚付、576頁ではありますが、ちょっとやそっとでは、手が出せない。どなたがお求めになるのやら。
お求めになった方、研究室や図書館でご覧になった方、ぜひお知らせください。ぜひとも、ひと目拝みたいものと思います。
t-catfoxさんも、一桁違うのではないかと迷われたそうで……。
こんばんは。皆さん、肩こりでツライ思いをしておられませんか?
中学生の頃から肩こりで悩まされていたのですが、今年の3月に異常な痛さの肩こりになり、「これが四十肩というヤツか?」などと思っておりました。左肩が痛むのですが、それも2週間位で止んで、何だったのだろうと思っていたところ、4月に再び激痛。寝ていても痛いし、通勤電車に揺られていても痛い。それが、肩だけでなく、腕も痛くなってきて、指にシビレまで出はじめて。
とうとう先週、整形外科へ行きました。レントゲン写真を撮って、診断は「頸椎症性神経根症」。歳をとると、あちこちガタがくるもので、首の骨のヘルニアのようなものでした。今は痛みも治まっていますが、根本治癒ということは無いようです。
死に至る病というわけでもなく、ただ、痛いだけ。痛みが出ないように、ダマシダマシ過ごしております。基本的に、病院・医院は大好きなので、通うのは問題ないのですが、痛いのだけは厳しいです。皆さま、くれぐれもご用心を。
「サツキとメイの家」は、昭和30年代の家でしょうか?
「冷凍マンモス」と共に愛知万博の目玉となっている「サツキとメイの家」ですが、公式ホームページや新聞報道などでは、昭和30年代の家として紹介されています。まさか、あのような家が昭和30年代の典型的な家だと勘違いするような人はいないかとは思いますが、昭和30年代に建てられた家をモデルにしていると間違う人はいるのではないでしょうか。
映画の舞台は昭和30年代の設定で、そのときにすでに、あの「サツキとメイの家」は古びておりました。
建築マニアの間では、あのような形の住宅は「洋館付き住宅」といい、大正から昭和初期にかけて流行した建物です。
そもそもは、明治初期、外国のお客様を迎えるような貴族の家では、家の敷地に迎賓館として洋館を建て、住まいは和館で、その間を渡り廊下でつなぐといった建て方がありました。その後、地方のお金持ちや小金持ちの間でも、玄関横に洋間を作り、応接間や書斎とする建て方が流行ります。個人医院などでも、診察室が入口横の洋間、という例が多く見られます。一般の住宅でも、文化住宅といった呼び方で、洋館付き住宅が建てられます。「サツキとメイの家」も、そうした文化住宅かと思われます。
洋館付き住宅は、今でも各地に多く見られます。
そういった家の入口横には、必ずと言ってよいほど、シュロの木が植えてあります。今では大木となっています。シュロの木を目印に、建物を探すことさえできます。空き地にシュロだけが生えているようなところは、かつて洋館が建っていた場所であろうと想像できます。
「サツキとメイの家」は、洋館がちょっと大きすぎてバランスが悪いのですが、洋館単体では、ステキな建物だと思います。
あなたのご近所にも、きっと「洋館付き住宅」がありますよ。探してみてください。そして、ご報告いただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。
「竹筋コンクリート」って、ご存じですか?
近代建築マニアの間では、岩国の「徴古館」という博物館が、昭和20年築の竹筋コンクリート造の建物として有名なのですが、これ以外の現存建築があるかどうかについて、興味を持っています。
実は先月、岩手県の一戸という町で、竹筋コンクリート造の旧銀行の建物に出会いました。確かなことはわかりませんが、竹筋コンクリート造であると伝えられているそうです。
土木系では、橋などで、竹筋コンクリート造のものがいくつか残っています。登録文化財になっている熊本県小国町の旧国鉄宮原線のアーチ橋などがそうです。他にも、九州各地や北海道などで、竹筋コンクリート造と伝えられている橋梁があります。
竹筋コンクリートは、戦前から戦中にかけて、金属不足のために、鉄筋の代わりに竹を代用したもので、そこそこ強度はあるようなのですが、造られてから長い年月が経って、果たして強度が落ちていないのか?
ご近所に、竹筋コンクリートの建物があるという方、ぜひお知らせください。とても貴重な建物です。