
写真は、文京区大塚にある大正湯。外観は、京都などにある町家型の銭湯。残念ながら時間がなくて、入浴することができなかった。
(2005年7月撮影)
日本各地の近代建築探訪など

旧水上歯科医院、昭和7年築
この建物は、小生の故郷・小樽で一番オススメの建物です。最初見つけたときには、こんな建物が小樽にあったのかと驚きました。南小樽(通は「南樽(ナンタル)」と呼びますネ)の駅の近所です。南樽付近は公立病院があり、そのまわりに個人医院が沢山あります。つい近年まで(と言っても、もう10年以上前か)は、珠玖小児科医院など、とてつもなく素晴らしい建物もあったのですが……。
(2005年7月撮影)






















伊東忠太設計の伝道院の車止めとして、ぐるりと立ち並ぶ石の怪獣たち。伝道院の修復が進まず、屋根はブルーシートに覆われたままです。








(2005年8月撮影)







(2005年7月撮影)
















(2005年8月撮影)

伊予鉄道三津駅(昭和7年築)

山谷運送部(大正末築)

石崎汽船(大正14年築)


前田海運



濱田医院
(2005年8月撮影)

武雄温泉の横道に入ったところで見つけた建物。医院か、役所ではないかと思われます。

武雄温泉の楼門そばにある水月堂菓子店(昭和7~8年築)。

辰野金吾設計の武雄温泉楼門(大正4年築)。この度、重要文化財に指定されました。

同じく、辰野金吾設計の武雄温泉新館(大正4年築)。屋根も落ちて廃墟寸前でしたが、この度修復も終わり、重要文化財となりました。
(2005年8月撮影)

この写真は、昭和4年の山代共同湯の建築当時の写真です。建物のデザインは、近隣にある大型の旅館や民家とソックリです。武田五一は、山代温泉周辺で取材をし、デザインを決めたのではないでしょうか。

こちらは、その内部です。当然ながら、カランは無く、湯船から湯を汲んで身体を洗います。

こちらは、観光協会さんにご提供いただいた山代共同湯の写真です。この写真を見ると、後方にある洋館部分が浴場だったものと思われます。

浴室内部です。上の浴場内部の写真に見える市松模様の部分は、入口付近であることが分かります。また、湯船は深かったとの聞き取り通り、タイル貼りで深そうです。

三朝へ行ってきました。
観光協会の方に、いろいろと聞き取りをしました。観光協会の方は、この三朝橋をいかに観光に活かしていくかということで、逆に疑問を投げかけてきました。まず、三朝橋の幅員の広さです。自動車が楽々とすれ違うことができます。バスと自動車のすれ違いも可能なほどの橋幅です。昭和9年当時、三朝に、この橋幅が必要だったとは思えないと言うのです。
橋幅だけでなく、欄干や灯籠も、肥大化しています。灯籠は、2メートル以上の高さがあります。このスケール感は、何なのでしょう。
三朝橋を行く歩行者を想定しているとは思えません。おそらく、川幅に対するバランスから橋幅が決まり、欄干や灯籠の高さも、橋の長さに対するバランスからなのではないか、と思われます。
つまり、机上でのデザインが優先しているのではないか、ということです。もっと空想すれば、例えば京都のどこか大きな橋のプランを、三朝橋に流用したのではないかという可能性も、あり得るのではないでしょうか。

この三朝橋は、どこから見る(見られる)ことを想定しているのかという疑問も、投げかけられました。川上か、川下の、別の橋から眺めるのが一番美しいと思うのですが、当時はそういった橋がありません。川岸の旅館から眺める橋だったのでしょうか。少なくとも、真正面にある万翠楼からは、あまり美しくは見えないでしょう。逆に、橋をアプローチとした万翠楼の組み合わせは、絵になります。
謎の多い、三朝橋です。